=院長日誌補足=
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歯科一般、小児歯科。痛くない治療、丁寧な治療をこころがけております。消毒・滅菌も万全です。
2002年4月号
「歯や口にまつわる言い回し」

2002/04/02 (火)

初診忘るるべからず
 今月は2年ぶりに保険の点数が大幅に改正されたり、本業もちょっと忙しくなってきて、更新が滞りがちでごめんなさい。

 今月のテーマは決めていません。
 お陰様でこのサイトも間もなく2周年を迎えます。一重に閲覧して下さる皆様のお陰です。

 サイト名を歯科医院名から「院長日誌補足」に変えたにもかかわらず、「ホームページを見てきました」と仰ってくださる患者さんが増えております。
 嬉しい限りです。昨日も3名いらっしゃって、ちょっとびっくりでした。

 今月は、もう一度初診・・・いや初心に帰ってホームページと医療のあり方に関して、少し考えてみようと思っております。
 今後ともよろしくお願いいたします。
2002/04/03 (水)

歯に衣着せぬ
 おべっかや余計な修飾抜きで、ずばり表現してしまうことをそう言う風に言うようである。「辛らつな批判」に対してそういう表現がなされることが多い。

 逆に「歯に衣着せる」という言い方はしないようである。
 この言い回しは何に由来しているのだろう?そもそも歯に衣を着せるとはどういうことか?・・・

 古来、わが国では「歯を人に見せる」ということを忌み嫌ってきた。
 歯を見せて笑うのは下品な行為とされ、中世では「お歯黒」などという習慣もあった。

 つまり、「歯に衣」というのは本来見せたくないものをベールに包むという意味合いがあったのではないかと推察されるのだ。

 言いたいことをズバリ口に出して言えず、オブラートに包んで表現する・・・ある意味では美徳かも知れないが、狭い島国で肩寄せ合って生きていくための知恵だったのかも知れない。
2002/04/05 (金)

奥歯にモノが挟まった
 言いづらいことを、さも言いづらそうに言う時の表現だろうと思う。

 実際奥歯にモノが挟まると、どうなるだろう?・・・
 言いづらいことが一段と言いづらくなるだろうか?

 奥歯にモノが挟まると、概して不愉快になる。歯茎がウズウズするような感覚になるはずである。これを放置し、どんどん挟まり放題にしておくと、歯茎に炎症が起こる。
 その状態でモノを言うと、言いづらいということだろうか?・・・

 もう一つの解釈は、上下の奥歯で何かモノを噛んだまましゃべろうとするとこれまたしゃべりずらい。
 つまり、上下の奥歯でモノを挟んだまましゃべるということを想定してみて欲しい。
 どうしても、口を大きく開くことなく喋ることになる。いわゆる口篭もってしゃべる状態になるのではなかろうか?・・・

 どうも、奥歯の歯と歯の間にモノが挟まるというよりも、上下の歯で何か挟んで言うという解釈の方がしっくりきそうである。
2002/04/08 (月)

歯が浮くようなセリフ
 好きな人に「愛しているよ」とか「君は僕の太陽だ」などといった普段使わないようなセリフをキザっぽくいうときなどに使われる。

 なぜ「歯が浮くような」と形容されるのであろうか?・・・

 その前に歯が浮くとはどういう状態だろうか。

 比較的重度の歯槽膿漏にかかると、歯が浮く。また、歯と歯の間にモノが挟まりやすい状態を放置していても、歯が浮いてくることがある。

 ところが、キザっぽい愛のセリフと歯槽膿漏の状態は、どうしても頭の中でリンクしない。

 これは全然解釈を変えてみる必要がありそうだ。

 まったく独善に元づく解釈ではあるが・・・
 本来水に浮くはずがない「歯」が浮くくらいの「軽い」セリフということではなかろうか?・・・
2002/04/09 (火)

歯がゆい
 誰の歌だったか忘れたが、歌詞でこんなのがある。
 「♪歯がゆいのよ、その唇〜・・・(以下略)」

 これは本来の意味での歯がゆいということではないだろう。
 歯がゆいとは、思うようにモノゴトが進まず、じれったい様子を表すようである。

 歯に痒いという感覚はない。冷たい、熱い、そして痛いという感覚しかない。
 では、掻痒感はどこで生じるのだろうか?・・・恐らく歯茎だろう。

 歯茎も掻痒感は感じないはずだが、ただ、歯と歯の間にモノが挟まり、それがなかなか取れないと、何となくもどかしい、じれったい、うずうずするという感触がある。

 これが文字通り「歯がゆい」状態であり、ひいてはそれ以外のモノゴトに対しても「なんとなくもどかしい、じれったい」という場面で使われるようになったのではあるまいか?・・・あくまで推測ではあるが・・・
2002/04/10 (水)

歯ごたえ
 歯ごたえが、あるとかないとかというのは、通常は食べ物の堅さを形容する場合に用いられるが、それ以外でも用いられる。

 「手ごたえと同義」のように辞書には書かれているが、ちょっとニュアンスが異なると思う。

 手ごたえは「反応とか感触」である。
 手ごたえのないヤツといえば、とらえどころがないとか、のれんに腕押しという感覚が強い。
 手ごたえを感じるといえば、試験を受けて、割とよくできた、と感じることである。

 歯ごたえはどうだろう?
 歯ごたえのないヤツといえば、表面だけで奥行きがない人間というニュアンスに聞こえる。
 試験問題で歯ごたえがあるといえば、出来不出来に関わらず、解きがいのある問題だったという感じに聞こえる(僕には・・・)

 ちなみに食感に用いられる「歯ごたえ」だが、実際は歯は圧力を検知しない。
 歯と骨の間の薄い繊維性の膜である「歯根膜」の感覚である。
2002/04/11 (木)

歯切れ
 明快でズバリ判りやすい話口調を指して「歯切れがいい」と言うようである。
 逆に言いづらいことを口ごもる様子を「歯切れが悪い」と言う。

 政治家の釈明記者会見などは、たいてい歯切れが悪い答弁に終始するようである。

 音の出方を表現するときも「歯切れのいい音」などと言う場合もある。

 要はどちらにしても「シャキシャキっと」ということであろう。

 千切りのキャベツを噛む時の食感だろうか?・・・

 ・・・歯をよく磨くと「歯綺麗」になる・・・
 ちょっと歯切れの悪いジョークだった・・・
2002/04/12 (金)

舌の根
 あることを言って、すぐさま翻す発言をすることを「舌の根が乾かぬうち」と表現する。

 こういう言い回しは、他にも「朝令暮改」などというのもあるが、「舌の根が乾かぬうち」は、極めて短い時間に前言撤回する場合に用いられるようである。

 実際舌の根が乾くとはどういうことだろう?・・・
 いや、舌の根が乾くということはありえない。

 勝手な解釈ではあるが、これは口の中の湿度を表したものだろうと思う。

 発言をすると口の中の湿度が低下する表現がある。たくさん喋って「口がカラカラになる」とか、苦言を何度も言うことを「口を酸っぱくして言う」などと表現する。
 (口中の唾液量が少ないと、口の中が酸っぱく感じられることがあるからであろう・・・)

 つまり「舌の根が乾かぬうち」という表現の意味合いの中には、まだ前言を言い終わるか終わらないかのうちに、というニュアンスが含まれているのではないかと推察される。
2002/04/15 (月)


 人間の身体で表から見える大抵の器官は二つある。
 手足、目、耳、鼻の穴、乳首・・・左右で対をなしている。

 口は一つである。だから、これは「頭」や「首」などと同様、個体の「数」を表すシンボルとして用いられる場合がある。

 例えば「人口」である。「人の口の数」イコール「人数」である。
 もし、一つ目の生き物だったら「人目」とかって表されていたかも知れない。

 あまりいい言葉ではないが、「口減らし」なんてのも、「口」イコール「人」を表している。

 「口封じ」・・・単に「口止め」ではない。闇に葬り去ることを表す。コワイコワイ・・・
2002/04/16 (火)

口火を切る
 口は災いの元というから、喧嘩や騒動の発端となる発言をするように思われるかも知れないが、元々の意味は違うらしい。

 口火は本来は「火縄銃」の導火線の先のことを表す。
 「口」はものの「先端」という意味合いで使われることもある。
 飲食するモノが最初に入る部分(消化器の端)という点に由来するためであろう。「切り口」というのは、そのためだろう。

 火縄銃がどういう仕組みで火薬に点火するのか詳しくは判らないが、きっと口火を切った方が点火しやすいのであろう。

 あるいは点火するための時間を調整するためだろう・・・

 ただし・・・口火を切っただけではまだ火薬に着火してはいない。
 その先は・・・「火蓋が切って落とされた」と繋がる・・・
2002/04/17 (水)

歯が立たない
 本来は「堅くて堅くて噛む事ができない」という意味である。
 転じて、モノゴトが困難過ぎて手を付けられないとなったのであろう。

 なぜ歯が立たないと表現するのだろう・・・
 逆に「歯が立つ」とはどういうことか?歯茎に歯が植立している状態であろう。
 では、歯が立たないというのは、歯が折れるか抜けている状態ではなかろうか?

 つまり、「歯が立たない」というのは「実際に噛んでみた結果」歯が折れるか抜けてしまった状態を指すのではないだろうか?

 だから、モノゴトに関しても、実際手を付けてみもしないで「歯が立たない」と表現するのはおかしいはずである。

 困難に直面した時、歯が立たないからあきらめる、というのはおかしい。
 実際やってみて、それでも無理だったら「歯が立たない」と言うべきである。
2002/04/18 (木)

口車
 「口車に乗る」とか「口車に乗せられる」と言ったら、巧みな話術に乗せられ、相手のペースにはまってしまうことを指す。
 だいたいが、詐欺まがいのハナシにまるめこまれる時に用いられるケースが多いだろう。あまりいいイメージの表現ではない。

 なぜ、車なんだろう?・・・
 口は本当にいろいろに形容される。「口が立つ」とか「口が回る」とか「口が重い」とか「口が曲がる」とか・・・

 他にそれだけ色々な言い回しがある身体の器官ってあるだろうか?・・・
 それだけ、口は重要だということだろう。

 歩くよりも車に乗った方が楽である。
 身体を動かして汗水流して働くよりも、口先だけの仕事の方が楽である。

 「口車に乗る」というのは、労せず儲けたい、オイシいハナシがあったらあやかりたいという人間の心理を巧みについた表現ではなかろうかと思う・・・
2002/04/19 (金)

口が堅い
 秘密のハナシなどを簡単に他人にベラベラ喋らない様子である。
 「口を割らない」も似たような意味だろう・・・

 面白いのは、実際に「口が柔らかいとか、堅いということがある」のである。
 口というより、口の周りの筋肉なのであるが・・・

 よく喋る人は口の周りの筋肉が柔らかい。あまり喋らない人は口の周りの筋肉が堅い。

 だから、治療などで口に指をかけると、「ああ、この方はあまりしゃべらない人だろうなぁ」とか「この方はよくしゃべる人だろうなぁ」ってことがおよそ推察できるのである。

 よく使う筋肉は、ほぐれて柔らかいのであろう。

 反対の意味で「口が柔らかい」とは言わないようである。恐らく「口が軽い」が該当しよう・・・さらに面白いのが、その反対の「口が重い」というと、またちょっとニュアンスが変わってくる。
2002/04/22 (月)

開いた口が塞がらない
 呆れた時、あ然とした時、あんぐり口を開けて呆けてしまう様子を指すようである。

 本当に開いた口が閉まらなくなることがある。
 顎の関節が外れた場合である。顎関節脱臼と言う。

 顎関節の構造は他の関節とちょっと異なる。
 他の関節のように単純な「ちょうつがい」のような運動プラス、滑走という運動をする。この動きのお陰で、顎は様々な方向に動かすことができる。

 滑走する運動は上あごの関節の「一種のレール」のような上を、下顎の「関節頭」と呼ばれる突起が動くものである。

 大きく口を開けすぎて、このレールの上を行き過ぎると、顎関節脱臼ということが起こってしまう。

 逆にレールの上をスムーズに動かないと「顎関節症」という病気となる。
2002/04/23 (火)

二枚舌
 言うことがコロコロ変わったり、状況に応じて違う応対をする場面で使うようである。政治家によく見受ける。

 実際は舌が二枚になることはない。
 どうしてこのような表現が生まれたか、さんざん考えたが思いつかない。

 口底(こうてい)〜舌の下だが、この部分に巨大な「のうほう」(膿の袋)ができることがある。ガマ腫と呼ばれる。
 顎の下がポコンとガマ蛙のように腫れるので、この名がついたのであろう。

 口を開けると、あたかも舌の下にもう一枚舌があるかのように見えてしまう。
 ほとんど症状がないため、かなり巨大に成長してしまうケースがある。

 もちろんこれは「二枚舌」とは言わないが、思い出してしまった・・・
2002/04/26 (金)

目は口ほどに
 目はしゃべらない。でも「目は口ほどにものを言う」と言われる。

 口はウソをつくが、目はウソをつきずらい、ということだろう。
 実際、人間ウソをつくとき目線が定まらなかったり、相手の目を見てしゃべらないことが多い。

 「目が笑う」とも言う・・・

 僕は幼い頃から母に「会話をする時は相手の目を見て話すよう」しつけられてきた。
 中学の時だった・・・ある教諭と会話をしている時、僕は教諭の目をじっと見ていたら、その教諭が突然怒り出した。

 「何、お前にらんでいるのだ!」と・・・
 それ以来、会話する相手に視線を合わせることがちょっと苦痛になった。

 日本人は相手の目をキッと見つめて会話することが苦手なようである。
 逆に欧米人にはこの言い回しは通用しないかも知れない。

 (連休期間中、更新がちょっと滞るかも知れません)
2002/04/30 (火)

口は災いの元
 「ちょっとした何気ない一言が争いのタネになる」程度に思われているが、本当にそうなのだろうか?

 簡単に口のせいにしてしまっていいのだろうか?
 言いたくないこと、言わなくて済むことは言わないに越したことはないという考え方が根底にあるのだろう・・・

 本心と口先で言うことが全く別個ということがままある証拠の言い回しだと思う。

 「災い」とはなんだろう?・・・ちょっとした争い?喧嘩?その程度のものだろうか?・・・
 本当はもっと大きな意味があるのではなかろうか?

 我が国の言葉は「ことだま」と称されるように、言葉に魂が宿ると信じられてきたようである。
 これは飛躍しすぎかも知れないが、天災や人災、もろもろの災害も「言葉の魂」が引き起こすと考えられてきたのではあるまいか?・・・

 呪術師は呪文の言葉で魔術を引き起こそうとする。
 神主の祝詞(のりと)は言葉の持つ力で幸福をもたらそうとする。

 口は食べたり単に会話の器官としてのみならず、そういったパワーの源とも思える気がしてならない・・・