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〜〜〜メッセージのページ〜〜〜

ここでは、1組卒で積極的に同期の輪を広げようと奔走する今勇人始め、
各クラスで連絡の中心的役割を担っていただこうを目論んでおります世話役の
熱いメッセージを紹介するページです。

・・・あれから25年・・・(遠い目)

 高校卒業から現在までのちょうど四半世紀、世の中は劇的に変わりました
 誰がこの北海道にJリーグチームやプロ野球球団がやってきていることを、携帯電話が普及し公衆電話がほとんど姿を消すことを、日常的にインターネットでショッピングができることを、卒業当時に予想できたでしょうか?

 31期卒の皆様は全国各地はおろか、世界を股にかけて活躍していると思います。
世の中が変わっていくのに必要な「きっかけ」を作るのに、またそのパワーを与えるのに、それはそれは色々な状況・立場で一役買ってきたことでしょう。

 先日、旧友と20年ぶりに会いました。ややふっくらしたもののその顔つきはむしろ精悍とさえいえ、その落ち着いた仕草は貫禄がついたとしか言いようがない。でも話をしたら・・・

 
なんだ、ちっとも変わってないじゃん。
 まだそんなくだらないこと言ってんの?大体誰がそんなおまえの話で笑うんだよ?
 見た目立派になっても、中身は高校時代のおまえ、そのまんまじゃんか。
 でもまあ、あん時はとにかく楽しかったよな。
 そうそう、クラスの過半数が授業さぼって野球の応援しに行ったことあったよな、
 次の日に一人ずつ先生からゲンコツ喰らったっけ。
 そういえばあの先生、今どうしているんだろう・・・


 世の中が変わっても仲間はいつまでも変わらない、そう確信しました。
高校時代一緒だった他の同期達、勉強はもちろん色々と指導してくれた恩師達は今どこにいるのだろう?
そう思って北高関係のホームページにアクセスし、そのリンク先から我が31期のページを探してみました。

 でもどうでしょう、自分たちの前後の期では色んなコミュニケーションの形が存在しているにも関わらず、31期関係のものは全然見つからなかったのです。

 
みんなー、あれから25年経ったよ。まずは来年同期会しようよ!

 まずは「昔の仲間たちが気軽に連絡を取り合えるようにすること」を目的に、同級だった辺見君と相談し、上記目的を達成するため今回このサイトを立ち上げました。これを読んだ同期の皆様、気軽にご連絡下さい

 3年1組卒 今 勇人(2006年5月 記)



 3年6組のみなさまへ

 前略 みなさま如何お過ごしでしょうか。

 1981年の春、芹沢長介に憧れて、私は旧石器時代の研究に携わることを夢見ていました。しかし、その夢も、大学共通一次試験を経ることで儚く消えました。多肢択一方式の客観性に対して、ユメミルチカラは無力でしたが、おかげでGod Handsにならずにすみました。さしたる定見もなく入学した経済学部では左派ケインジアンに被れ、大学院への進学を目指しました。しかし、指導教官からは「院試を受けたら絶対に落としてやる」とのありがたいお言葉を頂戴し、就職する道を選びました。就職活動では、ひょんなことから知り合った首相経験者から直筆の推薦状を頂戴し、とある政府系金融機関を受けました。しかし、ものの見事にそこを落とされました。首相経験者からは「お前はバカか!」と呆れられもしましたが、近年の公的金 融改革で当の政府系金融機関もなくなりました。

 そんな私を唯一拾ってくれたのが某銀行でした。それまで民間企業に勤めるつもりは微塵もありませんでしたが、おかげで「無業者」の奔りとなることを免れました。バブルの折には、おいしい思いを多少はしましたが、それが潰えた後には、不良債権の処理(先送り?)がミッションとなりました。財テクの失敗や仕掛かかったゴルフ場開発の後始末、高い塀を巡らし、庭にドーベルマンを放し飼いしている御仁との返済交渉…。中には、永田町絡みのベンチャー投資詐欺の始末もあり、強面のお兄さんたちからは「小僧、いい加減にしておけよ」とのご忠告も賜りました。

 1992年、銀行員生活にいささかの疲れを覚えて、大学院に「退却!」しました。以来、学生として、また教員として大学に関わり続けております。この間、勤めていた銀行は総会屋との不適切な関係を世間から糾弾され、生き残りを賭けた合併を余儀なくされました。顧みて、運が良いのか悪いのか…。唯ひとつ言えることは、デスク周りに「機動戦士ガンダム」たちが着実に増えているということ。北高を卒業してから四半世紀余、人間の発達としてどうかと思います。

 卒業後25年余といえば、まだまだささやかな人生ですが、ここらで一息ついてみませんか。時空を共に過ごした仲間たちと…。
 6組卒:齋藤一朗(2007年4月 記)


 3年5組卒のみなさまへ

 3年5組卒のみなさん、ご無沙汰しております。正岡宏樹です。10年ほど前のクラス会では幹事をさせていただきました。あれから日々の仕事に追われ(みなさんも同様だと思いますが)、あっという間に月日がたってしまったように思います。そろそろ旧交を温めたい時期になってきましたね。いかがでしょうか?

 ところで、昨年の夏、1組の今君(小・中・高・なが〜い浪人生活をともにした)から、「同窓会の大幹事期が近づいてきているのに、俺たち31期、大丈夫か?」という内容の連絡がありました。そういえば、10年前の同窓会で中幹事をやったとき、「十数年後の大幹事に向けて、年に1回は集まらないとならないなあ」と
いう話しがあったにもかかわらず、各クラスの幹事同士が集まるきっかけを作れずじまいになっていたので、話しがあったとき、「何とかしなければならないな」という思いになりました。
 10年前の同窓会での大幹事にあたっていた先輩方は、実に楽しそうでした。仲が良く、生き生きとしていました。けれども、その準備の様子を間近に見て、不安に思いました。「自分たちにできるのだろうか?」 同窓会に参加された方ならご存じのことと思いますが、会の規模が大きく、準備が大変だからです。

 幸い、今回の各クラスのまとめ役になっている人たちは、行動力があり、また、代ゼミ時代のなかまが多いので心強いです。面倒な仕事は自分たちでやっていくつもりです。ただし、お互いに連絡を取り合える状態をつくっておかなければ、なかなか集まれないので、偶然にも、この文章を読まれた3年5組卒のみなさま、メー
ルアドレスの登録をお願いします。私の方でまとめて、情報を発信していきたいと思います。私たちも先輩方と同様に、いつまでも仲の良いなかまでありたいですね。それでは、また。
 5組卒:正岡宏樹(2007年2月 記)


 3年4組卒のみなさまへ

 このたび、今さんからのご指名で4組のクラス世話人を仰せつかった岩崎孝彦です。

 そういえば岩崎は我々31期に3人もいました。他の岩崎君はどこにいるのでしょうか。このページ見ていたら連絡してほしいと思います。
 私は大学を東京で過ごした後はずっと札幌にいて、これまで高校時代の仲間では今さん、辺見さんとたまに会うくらいで旧3年4組の皆さんとは、まるで連絡が取れないでおりました。それが今年の春からの同期会をやろうという動きの盛上りとともに、私もその流れに飲み込まれ、最近はT.M君と連絡が取れ、またM.K(旧姓)さんからもメールをいただきました。皆さんそれぞれの場面でご活躍されているようです。

 金子さんも言っていますが、先日、数人でしたが皆で集まった時は、これまでの20数年間の時空を飛び越え、あっという間に昔の雰囲気を取り戻したのでした。日々、仕事に追いまくられている自分にとっては、とても良い刺激となりました。また最近は 駒大苫小牧で盛り上がっていますが、先月は我らがエースであったN.T投手とも仕事ついでで会うことが出来、元気そうな彼の姿を見て、改めて自分も頑張らねばなあと思いを新たにしていたのでした。

 私たちの年代は、ある意味ターニングポイントだったりするのかなあと思います。今まではある程度自由気儘にやれてきたものが、いつの間にか家や仕事やその他まわりのいろいろなものに縛られ始め、また体力的にも衰え始め(近くが見えづらい・・、髪の毛が・・・、腹が・・・・等など)、責任やらプレッシャーは容赦なく襲い掛かる。そんな年代に差し掛かってきているのではないかと思います。
 そんな中、昔のメンバーと馬鹿な話(メールでもいいですが)をすることで、気持ちだけでも前向きな勢いを取り戻し、明日に向かって行けるのではないでしょうか。

 と、大仰なことを書いてしまいましたが、まあ、たまには旧交でも暖めませんかということです。連絡お待ちしています。 
 4組卒:岩崎孝彦(2006年10月 記)


  3年2組卒のみなさまへ

 先日、今さんから突然の電話をいただき、このホームページの存在を知りました。
 今さんと辺見さんがこのページを立ち上げた理由は、あと4年後に我々の卒業期が北高同窓会の総幹事をしなければならないのにかかわらず、現在、ほとんど同期間の連携がないことに危機感を抱いたのが発端だと聞きました。
 私は自分が何期の卒業なのかもまったく知らず(我々の卒業期は31期生らしい)、高校時代の付き合いもほとんどない状態であったので、今さんからの電話は大変に懐かしいものがありました。

 電話から2週間ほどあと、同期、数人が集まりました。みんながみんな、立派なおっさんになっていたのには感銘を受けました。
 光陰矢の如し。髪の毛がさびしいのが私だけであったのは不本意でしたが、もともと太り気味だった私が従来の体型を維持しているのに比べて、より以上に中年太りになっていらっしゃる方もいて、若干の面目をほどこしたことをご報告させていただきます。

 同期のみなさんは社会で重要な地位を占め、その多くは忙しい日々を送っていらっしゃることだろうと思います。
 しかしながら、ちょっと立ち止まり、旧交を温めるのも悪くはない時期にあると痛感いたします。ここに書くのはふさわしくないかもしれませんが、3年ほど前、紅谷匡が心臓発作で亡くなりました。会おうと思えば頻繁に会えたものを、まさかこれほど早く逝ってしまうとは想像もできず、もう少しこまめに連絡しておくべきだったと悔やんでも悔やみきれません。残念ながら、我々はそのような年齢にさしかかっているようです。

 皆さん、気楽に今さん、辺見さん宛てにE-mailを送ってみてください。
 社会的には一定以上の尊敬を集めているであろう人たちが、徐々に、精神年齢を逆戻りさせていくありさまはいかにも愉快です。
 2組卒:金子敏也(2006年7月 記)


  3年10組卒のみなさまへ

 我々31期が昭和56年に卒業して、早いもので25年が経ちました。外見的にはややお肉が付きだし、目はやや見えにくくなってきた今日このごろ、みなさま如何お過ごしでしょうか・・・?
 10組の幹事役を仰せつかった大泉・太田です。

 まずは、このホームページへアクセスして頂き、ありがとうございました。ご覧のとおり、今君・辺見君のご苦労により、このような立派なホームページが出来上がっていますが、いまひとつ返信がありません。
 「返信すると仕事を与えられるのではないか・・・」、「今更北高の同窓会も・・・」など、いろいろな理由により返信が少ないのでは、という今君の心配も多少は理解できるのですが、みなさん、ここはそういうことは抜きにして、まずは懐かしい顔を思い出しながらメールや電話のやり取りなどが出来たらいいと思いますので、奮って参加して下さい。
 仕事をするかしないかは二の次にして、単純に懐かしい仲間と久しぶりに酒を飲んだり話しをしたりなど、これをきっかけにできたらと思っていますので、是非宜しくお願いします。・・・こちらのページから是非御連絡下さい。
 10組卒:大泉 清・太田 祥一(2006年7月 記)