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 「院長日誌補足」:2000年12月

下線のある語句は、関連サイトもしくはページへリンクが張ってあります
2000/12/31 (日)

感謝!
 あれこれ書いてきましたが、とにかく今日は一般的に言えば「大晦日」です。
 7月から続けてきたこの日誌も半年続きました。読み返してみると、自分でも結構面白かったりします。
 ご閲覧、ご愛読ありがとうございました。

 今月は数日を除いて、「特定のテーマ:暦と時間について」に絞って書いてみました。途中難しすぎる、というご批判もいただきましたが、自分で言うのもなんですが自分では納得できる内容だったと勝手に思っております。

 来年もよろしくお願い申し上げます。1月も特定のテーマに絞って書いてみようと思っております。予定しておりますテーマは「バカは風邪ひかない、を検証する」です。

 それでは、良い歳をお迎え下さい。
 あれ?「年末」に対する「年始」という言葉はあるけど、「歳末」に対する「歳始」って言葉は聞かないですねえ・・・
2000/12/30 (土)

正月
 では、なぜ正月を祝うのだろう?(特に日本人は)
 これは簡単である。元旦こそ「みんなの誕生日」だったからである。

 旧来、日本人は産まれた瞬間が一歳で、歳を越すごとに一歳づつ加算されてきた。いわゆる「数え歳」と言われる年齢の数え方である。
 「満年齢」が一般的になった今でも「歳」という言葉が使われる。「歳末」や「歳出」などのように。これは「年」のトシと「年齢」のトシが同一のものを表す名残であろう。

 「0」の概念がなかったからそうなった、といういきさつもあるだろうし、きっと昔の庶民はまともな暦を持っていなかったに違いない。その暦にしても、つい最近まで西暦ではなく旧暦(太陰暦)を用いていたはずだ。

 かねてから24節季などといったものは「西暦にそぐわない」と主張してきた。夏のまっ盛りに「立秋」と言われてもピンと来ないと。(8月7日付)
 これは西暦と旧暦のズレから生じるものであり、それを西暦に当てはめても何の意味もないことなのである。

 だから僕は年賀状の挨拶などで「西暦の1月1日」に「新春明けましておめでとう」などと書かれてあっても興ざめするだけなのである。
2000/12/29 (金)

「必然性」のない「西暦」
 今月の話をまとめる方向にもって行こう。
 まず昨日の話を判りやすく例えたい。

 仮に、である。あなたの誕生日がはっきりしていなかった、と仮定してみていただきたい。例えば、「あなたの誕生日は12月下旬から翌1月初旬なんだけど、はっきりとはしていない」とする。でも便宜上「1月1日を誕生日としましょう」と決めて毎年誕生日を祝っていたとする。

 何年か経って、はっきりと自分の誕生日が判明したとする。12月21日に生まれたと。
 それでもあなたは従来通り「1月1日」を誕生日として祝い続けるだろうか?

 新たに判った「12月21日」を真の誕生日として祝うに違いない。そしていつしか1月1日は単なる日付でしかなくなるに違いない。(もちろん元旦であるということを除いてだが)

 今の「西暦」とはそんなものなのである。
2000/12/28 (木)

暦と時計の矛盾
 身近にアナログ時計(針時計)があったら見て欲しい。

 アラビヤ数字の文字盤であれば、例外なく一番上に「12」があると思う。
 ひるがえってテレビ番組の「左上」に表示される時間は日中でも0時何分と表示されることが多い。もちろん短針、秒針ともに「12」を指した瞬間から夜中であれば日付が変わる。

 昼過ぎテレビを観ていたコドモに「今は0時なの?12時なの?」と聞かれて困った。
 12は「12」であると同時に「0」なのである。(時間の表記では)

 翻って暦は「12月」は最終月でしかないし、新年は「1月」からと誰もが思っている。本当か?
 実は暦においても12月は「12」であり、同時に「0」を表すのではないだろうか?
 だから「We wish a merry Christmas and a Happy new year!」という表現が成立するのではなかろうか?

 その意味では、今はもう「新年」であり、「新世紀」に突入していることになる。
2000/12/27 (水)
「補足」
 トップページ(このページのこと)のアクセスカウンター「5000」GETされた方にプレゼントを用意しました。
 メールでお知らせ下さい。できれば「カウンター」を画像として保存し、メールに画像ファイルとして添付いただけると、証拠となります。
 (Windowsの場合、カウンタ上で右クリックし、「名前を付けて画像を保存」を選択し、メールソフト上で「画像を添付」をクリック、先ほど保存した画像ファイルを選択すればOKです)

 プレゼントは歯医者らしく「歯磨きセット」(GC社:プロスペックマウスケアセット/1200円相当)です。

 ちなみに、今後「1000」区切りでこのプレゼントを実施いたします。
2000/12/27 (水)

石油の枯渇
 「石油はいつなくなるのか」あるいは「石油の埋蔵量はあとどの位もつのか」という話は昔からよく聞く。いつも3〜40年後位には枯渇する、と言われ続けている。

 先日テレビ番組で、あと500年は大丈夫、という楽観的な説もあると聞いた。

 この議論には落とし穴がある。「経済の原理」が全く反映されていないのである。

 あと30年後に枯渇するとか、あと500年は持つ、といったことはありえない話なのだ。つまり、「石油は絶対掘り尽くされることはない」のである。

 なぜなら、埋蔵量の底が見えて来て、本当にあと数年で石油が枯渇する、という事実が明らかになると、「原油価格」はどんどん高騰していく。
 しまいには「レアメタル(希少金属)」のごとくグラム何千円という値が付くかも知れない。

 恐らく原油価格が高騰すれば代替燃料への転換、またリサイクルなどの対策が進み、原油は必要とされなくなっていくだろう。需要が減ればまた価格は下がる。
 そういったバランスを取りながら、結局は数十年後、あるいは数百年後人類は石油を必要としなくなる日がくるのだろう、と思う。
2000/12/26 (火)

進化って?
 ことあるごとに、進化とはなんぞや、と考えさせられる。
 例えば人間は食事を「濃い味付けで柔らかい」ものがいつしか「美味しい」と感じる味覚になってしまった。

 結果、虫歯は増えるわ顎は小さくなるわで、これが正常な進化とはとても思えない。
 欧米型の食事になるに従い、体格は良くなったが疾患のタイプも欧米化していると聞く。

 また、「現代社会特有のストレス」は「便利になった文明」の引き換えに背負わざるを得なくなった十字架だろう。
 徒歩5分の距離でもクルマででかけてしまう。
 そのクセ、何か運動をしなければ、なんて思ったりもする。

 人間は絶対「いい方向」に進化していないと思う。
 多分来世紀半ばにでも、一度今の社会体制が崩壊するのではなかろうか?
2000/12/25 (月)

必然性
 歴史に「タラ・レバ」はない。
 でも、もし「月」がなかったら?とか、もし地軸が傾いてなかったら?などと考えることは興味深い。
 地球の自転は「生命の進化」に恐らく不可欠な条件なので、外せない。

 もし月がなかったら・・・「ひと月」という概念はなかったであろう。
 そしてもし地軸が傾いていなかったら、季節の変化もなく、「一年」という概念も生まれてこなかっただろう。
 ヘタをすると、カレンダーは生まれてこなかったかも知れない。

 いや、星座の変化はあるので、やはりカレンダーは生まれるか?
2000/12/24 (日)

冬至とクリスマス
 15日にも書いたが、「正統派」のクリスマスは今夜日没後から、ということになる。

 でも、「イエス・キリスト」の生まれた日とされるクリスマスだが、実はもともと12月25日はユダヤ教で神聖な日(恐らく冬至との絡みだろう)とされていて、後日この日にキリストが生まれたとこじつけた、という説もあると聞く。

 まあ、2000年も前の話だから戸籍もなければ住民票もない。
 敬虔なクリスチャンには申し訳ないが、「キリストが聖人だった」かどうかという問題と彼が12月25日に生まれたとかどうかいうことは切り離して考えた方がよさそうだ。

 あまりにも都合が良すぎる。

 そうそうクリスマスキャロルで、「We wish a merry Christmas and a Happy new year!」という歌がある。日本語に直訳すれば「よいクリスマスを、そして謹賀新年」となるのだろうか?
 これも変に感じられないだろうか?
2000/12/23 (土)

Decemberは10月?
 実は西暦のカレンダーにはまだまだナゾがたくさんある。
 例えば、12月を表す「December」はラテン語の「decem」由来と思われるが、これは「10」を表す単語である。英語の10分の1を表す接頭辞「deci-」も恐らくこのラテン語の単語由来だろう。(デシリットルなどと使われる)
 9月から12月まで、ずれているのだ。(ラテン語では7から10を意味する)

 一説によると昔は10月までしかなかったが、ローマ皇帝が6月と7月の間に「July」と「August」を挟み込んだらしい。Julyは「Julius Caesar」由来、Augustは「Augustus Caesar」由来だ。

 恐らく紀元前46年に制定されたユリウス暦の時だろう。

 では、それまでは1年は10ヶ月だったというのか?
2000/12/22 (金)
「補足2」
 当日誌を読まれた方からご指摘のメールをいただきました。謹んで訂正し、お詫び申し上げます。

 「日の入りが最も早いのは12月上旬、日の出が最も遅いのは1月上旬」とのことでした。勘違いしておりました。
2000/12/22 (金)
「補足」
 下に書いてしまったことは、信憑性が薄い。というか、どうやら間違ったことを書いてしまったようだ。
 新聞を見ると、昨日より今日は日没が遅くなっているからだ。
 このことに関しては確認してから再度書くこととする。
2000/12/22 (金)

冬至のズレの原因
 これはきちんと確かめてから書くべきことなのだろうが、忘れないうちに書いておく。
 「冬至」とは「年間で太陽が出ている時間が一番短い日」というのは間違いない。

 ただし、必ずしもこの日を境に日没時間が遅くなっていくかどうかは別である。今後も日没時間は早くなり続け、その分を上回る勢いで日の出の時間が早くなっていくかも知れないからだ。

 グレゴリオ暦の冬至と大晦日がずれている現象は、これが原因かも知れない、と思った。
2000/12/21 (木)

冬至
 今日は冬至である。
 実は冬至の日付は毎年ちょっとずれる。うるう年が関わっているのか、地軸のブレが関わっているのか判らないが、とにかく定まっていない。

 春分の日、秋分の日は判り易い。太陽が真東から昇り、真西に沈むからである。

 正確に夏至、冬至の日付を把握するには、近代的な時計を持っていなければ判らないはずだ。

 実は暦に「合理的な出発点」を与えようと思ったら、12月31日という日付を冬至に持ってくるのが一番合理的だと思う。
 恐らく西暦という概念が出来つつあるころは、正確な「冬至の日付」を把握していなかったのではないだろうか?

 太陽の運行を正確に反映させた、「真の意味での太陽暦」を考えると、「今日が大晦日」、「明日が元日」である。
2000/12/20 (水)

24時間制
-数が先か・月が先か
 「大昔の一日の概念は昼間だけだった。そして昼間だけを12等分した」という説は今まであるのだろうか?
 それとも僕が導き出した妄想でしかないのか?

 各国、各地方、あるいは各民族はそれぞれ独自の文化を持ち、それぞれの暦、それぞれの数の数え方、そしてそれにまつわる神話を持っていたはずだ。
 それらを十把一絡げにするつもりはない。

 ここの掲示板で指摘を受けたのだが、一月が20日という暦をもつ民族も存在したらしい。これもどうやったらそういう暦ができるのか不思議だったが、どうも数の数え方には10や12を一区切りとする他に「20」を一区切りにする言語が多い、ということを知った。
 多分「足の指」も使って数えたのだろう。
2000/12/19 (火)

24時間制
-もともと1日は12時間だった
 文章がちょっと散漫で判りづらいかも知れない。
 結論を先に書き、後日根拠を書けるだけ書いていこう。

 昔、(時間の概念も暦の概念もおぼろげだった昔)「一日」というのはは昼間だけだった。
 そして「昼間を12等分」した。

 後に「明かり」が発達し、また天文学などの発達により地球と太陽の関係が明らかになり、「夜の12時間」を付け足した。

 というのが、結論である。
2000/12/18 (月)

24時間制
-暦と農耕
 要するに「12」という数字は我々にとって、10進法に次ぐ馴染みやすい数の数え方のサイクルなのである。

 12日にも書いたが、1日が12等分だったら何も悩む必要はない。ごく自然の1日の時間の割り振りと考えられる。でも、現実は24等分だ。

 まてよ・・・本当に昔から24等分されていたのだろうか?

 ここである仮定をとってみる。受け入れてもらえるかどうか判らないが・・・

 昔・・・どの位昔かというともちろん確たる暦も時間の取り決めもない時代である・・・ただ漠然とお月様が12回丸くなったりなくなったりする間にだいたい季節が一回りするなあ、と感じていただろう時代である。

 恐らく暦を把握することは「農耕」を営む上で不可欠な情報であるので、原始的な農耕が始まった時代、と仮定していいと思う。
 逆に「農耕」以外では暦の必然性は薄い。

 10進法の概念より先に、「12まで」表す記号ができたのかも知れぬ。だから欧米の言語は12までは10進法的でない表記になったのだろう。いやむしろ「0」の出現前は「12進法」の方が優勢ではなかったか、とさえ感じられる。
2000/12/17 (日)

24時間制
-神聖な数字「12」
 ついに、一日24時間のナゾ解きに成功した。
 もちろん推論だ。そして、ネット上で無責任なことも書いてはいられないので、今後検証しなければならない。でも自信はある。

 まだ、「時計」というものが存在しない古代人の心境になって考えてみると、そう難しいパズルではなかった。

 まず、前提となることを述べる。
 「12」という数字は否がおうにも「特別な」数字である。これは今月に入ってから散々述べた。ひと月が30日は月の運行で紛れもない単位であるし、これが12こ集まると約1年になる、ということも経験的に把握できる事象であったことだろう。

 暦もなかった時代、ただ漠然と「日の出ている時間」が「暖かい季節」と「寒い季節」では異なることを肌で感じていたに違いない。

 寒くなり、お日様が出ている時間も短い。冬は嫌な季節だ。このまま太陽が出ている時間が短くなりつづけたらどうしよう。
 死を意味する。

 しかし、太陽が出ている時間はある時点をもって長くなっていく。もちろん「冬至」と言われるターニングポイントだ。この「冬至」近辺に「12月」という神聖な数字がくることも納得がいく。
 「0」がなかった昔は、かわりに「12」がサイクルの切れ目を示す、あるいは「再生」の意味合いをもっていたと考えられる。

 太陽の復活が始まり、「1月」が始まるのだ。
2000/12/16 (土)

規格の発端
 defacto standardで思い出したのだが、面白い規格の一例を示そう。音楽を圧縮する規格MP3についてである。
 以前もちょっと書いたが、これはCDなどの音の情報を約11分の1という比率で圧縮する規格である。なぜ11分の1かはすでに書いた。(11月11日)

 「風が吹けば桶屋が儲かる」式だが、もともとのこの規格の「発端」は今を去ること約200年前のベートーヴェンが作ったと言っても過言ではない。

 そもそもMP3は音楽CD1枚分を64MBのメモリーに圧縮して収めようという発想から生まれた。そしてその音楽CDは最大650MBの容量がある。音の情報として74分に相当する。

 そしてこの74分という規格はベートーヴェン作曲の交響曲第9番「合唱付き」をカラヤン率いるウィーンフィルハーモニーが演奏する時間から導かれた数字だと言うのだ。
 確かにアナログディスクだと、第3楽章の途中でレコードをひっくり返さなくてはならない。
 この曲をノンストップでかけられるというのが発売当初のCDの売りだった。

 今日の話を大げさに感じる方がいるだろうか?「MP3の規格とベートーヴェン?」と首を傾げる方もいるかも知れない。
 でもベートーヴェンが存在しなければ、今の規格とは異なる別の規格になっていただろうということは確信している。
2000/12/15 (金)

defacto standard
 defacto standard(事実上の基準)というものがある。
 いくつかある基準や規格が市場で淘汰されて一社の寡占状態になる、ということらしい。
 近年では家庭用ビデオのVHS規格やパソコンOSのWindowsがこれに相当する。

 カレンダーや時間の数え方も、このdefacto standardの原理が働いたのではないかと思い始めている。
 恐らく各国、各民族で様々な暦や時間の計測の仕方があったと思われる。
 比較的合理的なものが生き残り、世界共通として現在使われているのだろう・・・

 「一日の始まり」という事例をとっても各国、各民族、あるいは各宗教で異なるらしい。イスラムでは「ラマダン」という一日断食しなければならない日があるらしいが、この際の1日は日の出から日の入りまでを指す。

 古代のユダヤ教の一日の始まりは「日没」だったらしい。
 クリスマスが前日のクリスマスイブから始まるのは、そのせいらしい。つまり24日の日没が翌25日の始まりにあたる。だからクリスマスを祝うのは24日夜が正統派ということになる。

 わが国の1日の始まりも日の出とともにあるようだ。元旦は日の出とともに始まるし、初夢も元旦の夜に見る夢のことを指す。0時直後に「元朝参り」と言うのは節操がない。もっとも信仰していない宗教のお祭りを祝うのはもっと節操がないが・・・
2000/12/14 (木)

1秒の基準・2
 11日に1秒の基準は心臓の鼓動だと書いた。
 それはないんじゃないか、との声を期待していたのだが、案の定反論のメールが届いた。

 もちろん1秒の「定義」は違う。1955年以前は昨日書いたように1日の86,400分の1が1秒と定義されていたし、その後は公転をベースに1秒が定義され、1967年以降はセシウムの周波数を用いた原子時計を世界中で平均を出して定義しているらしい。

 実は上記リンク先サイトで1秒の元となった単位の記述があるのでは、と期待したがやはり流すようにしか書いていなかった。

 基本的な単位を決める際、人間は自らの体を目安とする傾向がある。それは背丈であったり足のサイズや手のサイズであったり、10進法であったりする。
 時間の最小単位を自らの律動的な、しかも再現性のあるリズムに求めたということはありえないハナシではない、と思う。
2000/12/13 (水)

ヘルツ
 実はいくら考えても1日を24等分する必然性が思い浮かばなくて、昨晩本屋に行って調べようと思った。
 雑学に関する本を片っ端から見てみたが、暦や時間に関することが書いてあっても断片的にしか書いていない。

 ただ、ひとつ判ったことは、「分」や「秒」の概念は比較的最近設定されたらしい、ということだ。昔の時計は「時針」しかなかったらしい。

 そしてもう一点我が目を疑ったのは、「1秒は1日の86,400分の一の時間として定義された」と書かれたクダリである。国立大学の教授が著した本に書かれてあったが、「んなわけないだろー」と感じた。
 別にそれならそれでいいのだが、その「86,400」という数字が「何処から出てきた」ものなのか必然性を感じないからである。(もちろん60×60×24だが)

 それよりも、周波数の単位「ヘルツ(Hz)」がドイツ語の「心臓(Herz)」と近似することが偶然ではないような気がする。
 実はヘルツという単位はドイツ人の「ヘルツ(Hertz)」という物理学者が定義したらしいのだが・・・
 もしかしたら、このヘルツ(Hz)という単位を設定するにあたって「秒」の設定もされたのではなかろうか・・・?
2000/12/12 (火)

1日24時間のナゾ
 もし一日が12時間であるならば、それはそれでとても納得がいく。(もちろんこの場合の「1時間」は現在の正味2時間に相当することになるが・・・)

 それは地球が太陽のまわりを公転する1年を月ごとに12で割るように、自転を12で割るという発想が類似しそうな気がするからである。
 違いは恒星が一年かけて全天を一周するか、太陽が一日で全天を一周するかの違いだけである。

 1年、1ヶ月、1日・・・飛んで1秒の根拠はだいたい判ったつもりなので、あとは1日24等分のナゾを検証していきたい。 
2000/12/11 (月)

1秒の基準
 実は夕べ寝ながらすてきなことを思いついた。
 もちろんこれは僕が考えついたことではなく、恐らく「誰か」が決めたことだろうし、それが忘れ去られているだけの事だろうとは思うが・・・

 「一年」や「一ヶ月」あるいは「一日」という単位は明らかに天体の運行周期から導き出された時間(期間)の単位である。問題はそれより短い時間の単位の基準だったが、「1秒」を導く根拠を思いついたのである。

 もしかしたら、誰でも「そんなこと当たり前だろう!」ということだったらゴメンナサイ!

 「1秒」の基準は「心臓の鼓動」です。多分・・・
2000/12/10 (日)

0階はない?
 ハナシを「12」や「0」の関連に戻す。

 疑問を抱く人は少ないだろうが、建物の「階」を表す単位に「0」はない。地面に一番近い階は1階、それより上は2階、3階、と続く。そして下は地下1階、地下2階、と続く。
 つまり「0階」はないのである。別に地面の直上の階を0階と言ってもおかしくないと思う。

 そんな計算をする人はあまりいないと思うが、2階から「3階上」に行くと言えば2+3で5階に行く、と言うことになる。
 地下2階から「3階上」に行くと言えば−2+3で1階に行くことにはならない。2階に行く、と言うことになる。変でしょう?

 ところが英国では他国の1階に相当する階を「grand floor」と言うらしい。そして他国の2階に相当する階が「first floor」つまり1階と言うらしい。
 コドモの頃、このハナシを聞きかじったときは、何と妙な表記をする国なのだろうと感じたものだが、今考えてみると妙に合理性がある。
 このgrand floorが「0階」に相当するからだ。
2000/12/9 (土)

忘年会
 今晩は、当院の忘年会です。

 以前、大晦日のことを書きました。「毎月30日は晦日、12月は締めだから大晦日」という主旨でした。
 今年の忘年会は、今世紀最期なので、「忘世紀会」と言うべきではないかと、一人小理屈を考えている今日この頃でした。
2000/12/8 (金)

おいしいメール
 かみさんに最近の日誌は難しすぎて判らない、と言われ今日は「数字のハナシは一休み」

 このところ、スパムメールが増えてきた。
 いろいろな掲示板にメールアドレス付きで投稿することと、まあサイトを運営してメールアドレスを明示していれば当然だろう。
 このページに入力してあるメールアドレスと、掲示板用のアドレスは違うし、個人用のアドレスは別なのでどの経路から来るのかはだいたい判る。

 「メールをひたすら送り、かつ4人の銀行口座に1000円を振り込むと数週間後には大金を手に入れることができる」といった馬鹿馬鹿しいメールを受け取ることがある。
 相当数学の知識がない人が参加しているらしい。謳い文句によると、一応法には触れないらしいが・・・

 理論上の計算が甘いのである。
 仮にこのメールを受け取った人1000人の内、物好きな一人が1000円を振り込むとする。1段で投資金額を回収しようと思ったら4000人にメールを送らねばならない。
 その4人がまたそれぞれ4000人にメールを送ると、今度はその16000人の内の物好き16人からトータル16000円が振り込まれるのだ。
 その後はバカバカしくて書く気にもならない。

 結局数字のハナシになってしまった・・・
2000/12/7 (木)

数字のマジック
 僕は数学者でもないし、学生時代数学が得意だったということもない。
 だからここに書いていることは「確かな裏付け」のある話ではないことを念頭において読んでいただければ幸いである。

 数字に与えられた使命(あるいは意味合い)は二つある。一つは「連続した量の限られた一点を表す」ことと、今一つは「連続した量のうちの部分的な幅をもった一部分を表す」ことである。大変判りずらいと思うので例示すると・・・

 距離で100メートルといったらかっきり100メートルである。1ミリたりとも前後しては厳密に100メートルとは言えない。100メートルから101メートルまでを100メートルと言いましょう、とは聞いたことがない。「純数学的な数字」とでも言おうか・・・

 では時間を表す数字はどうだろう?2000年というと、2000年になった瞬間だけを表さない。2000年の1月から12月までずーっと2000年である。1年間の幅があるのだ。それは時間でも日付でも月でも同じである。もちろん世紀でも。

 そして、そこに「0」という瞬間はないのである。「0」は瞬間しか表さない数字として認知されており幅がないイメージだからである。
 一歳になるまでの乳児を「0歳」と表すのが唯一例外であろう。
2000/12/6 (水)

世紀
 さて、もう一点昔からちょっと不思議だったのは、「20世紀が1901年から2000年まで」ということである。
 さすがに最近では間違える人はいなくなったが昨年まで20世紀は1999年で終わると思っていた人がいたようだ。(僕の父も勘違いして年賀状に書いて出したらしい)

 何となく1999年が「世紀末」だという印象もあったのだろうと思う。本当は今年がまさに「世紀末」なのだが、世間の世紀末ムードは昨年で終わった感がある。

 実はこれ、西暦が「0年」から始まっていないことに原因があるのだ。西暦0年とか0世紀がないのだ。
 「西暦」の概念がいつスタートしたのかは知らないが、その時点で「0」が発見されていなかったからに他ならないと思っている。

 1900年代というと、1900年から1999年までを指す。「年代」と「世紀」は一年違いだが、微妙にニュアンスは異なってくる。
2000/12/5 (火)

「0」
 以前も書いたが(10月4日付け)、「0」を発見したのはインド人だそうだ。いつのことかは知らない。発見というより恐らく「認識した」ということだろう。

 実はこの「0」があるかないかで、「進法」あるいは「進数」の概念が異なってくる。
 今まで12時まである時間の単位は12進法的とか、英語では「TWELVE」まであるから12進数的、と書いてきたが、真の意味では「12進法に12はない」のである。

 12になったとたん、桁があがって「10」になるからである。もちろんこれは「表記」の問題で、量的には12(10進法で)なのであるが・・・
 
 こんがらがるので、判りやすく言い換えると、「2進法に2はない」ということだ。2になったとたん、桁があがって「10」になる。もちろんこれは量的には2(10進法で)なのである。

 正しく12進法を表記しようとしたら、10進法の10に相当する記号を仮にTとし、10進法の11に相当する記号をEとする。すると、0,1,2,3,4,5,6,7,8,9、T、E、10、11、・・・18、19、1T、1E、20、・・・となる。この「20」は10進法で言う24である。
2000/12/4 (月)
「補足」
 本当は気が済むまで、今月は「12」に関してこだわって書こうと思っていたが、ちょっと番外で、文字通り補足。

 「インターネット関連のサービス」をやっていると称する会社から再三電話セールスを受けていた。
 自分は今の環境にある程度満足しているので、話は聞かないと言っているのに強引にセールスを勧めてくる。

 折れて、会ってハナシを聞くことにした。そしたら、先方は「そっちはどこの駅で降りたら近いのでしょう?」ととぼけた事を電話で聞くのだ。僕は一瞬耳を疑った。
 これから「セールス」しに行こうとする場所くらい、自分で調べろ、と言いたかったがぐっと収めた。
 これではセールスにはならない。はじめからセールスマンの「負け」である。

 しかも、ハナシに1時間かかるという。冗談じゃない。そんなに僕はヒマではない。
 サイトの更新もしなければならないし、ほうぼうの掲示板に参加しなければならないからである。
2000/12/4 (月)

時間の単位
 ここで改めて、時間の単位を見直してみる。
 最大の基本単位は「一日」である。これは地球が太陽に対して一回転する時間であり、安定している。
 
 1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒、それより小さな単位はない。マイクロ秒とか、ナノ秒と言われえる単位はあるが、「秒」の小刻みにしたものに過ぎない。
 ここまで10進法は関係ない。また10進法にしない根拠もない。1日を10時間と定めても、100時間と決めても良いはずだ。(もちろんこの場合の1時間は24時間制の1時間とは長さが異なる)

 1日が7つで1週間、1日が約30で1ヶ月、1日が約365で1年である。(週と月と年には正確な相関関係はない)また、この関係に10進法を組み込むのは不可能である。
 さらに12ヶ月で1年であるが、月の長さはまちまちなので1日の約365倍が1年と考えた方がよいだろう。(約365日と書くのは閏年があるからである)
 ここまでも10進法は関係ない。

 つまり時間の単位はほとんど10進法と無関係なのである。
 ところが、「世紀」という単位は突然10進法的な単位なのだ。
2000/12/3 (日)

360度
 突然であるが、ここで分度器の単位が登場する。
 円周を360で割るという、これまた奇妙な数字だ。

 角度の1度という数字はとても小さい。だいたい100分率の円グラフを描いて、1%の角度というのも大変小さいものなので1度がいかに小さいか判る。

 なぜ10進法的に円周を100で割らずに360度なのか?これはだいたい察しがつく。(というより多分それで間違いないと思う)
 大体1年の日付に近似しているからである。

 恐らく精度の高い角度計算は昔の「船乗り」に必要な技術であったことだろう。星星の位置が日々約1度ずれていくということは既成の事実であったに違いない。
 そしてだいたい360日経過すると、だいたい同じ星図に戻る。

 当たり前のハナシだが、12と30、そして約360は「暦」を構成する基本的な数字である。
2000/12/2 (土)

12進法
 昨日の続き。
 「12」という数字は不思議である。一番この数字に不思議を覚えたのは、中学の時だった。

 英語を習い始めたころ、10は「TEN」、11は「ELEVEN」、12は「TWELVE」、そして13以降は「THIRTEEN」、「FOURTEEN」・・・というのが不思議だった。
 10がTENならなぜ11がONETEEN、12がTWOTEENじゃないのか?と。

 そう、英語の数の表記は少なくとも12までは12進法なのである。
 さらに、1foot(フィート)は12inchs(インチ)だし、1pound(ポンド)は12ounces(オンス)と、これまた12進法である。
2000/12/1 (金)

進化論
 あれよあれよと言う間に、もう12月だ。
 先月末から時間の単位や10進法のことをず〜っと考え続けていた。

 10進法は、我々は何も考えず「キリのいい」数の数え方だと思っているが、これは唯我独尊、独り善がりのなにものでもない。
 両手の指の数がたまたま合計10本だから10進法と決めただけのハナシである。

 蛸が文明を持つほどに進化していれば「8進法」が標準となったかも知れないし、片手の指が3本の爬虫類(いるかどうかは知らないが)が進化していたら「6進法」がスタンダードだったかも知れない。

 地球外生命体で片手で6本の指を持つ知的生命体がいたら、恐らく12進法を採用していることだろう。
 「時間の12進法」はそんな未知の生命体から大昔に教わったことなのではないか、などとあらぬ事を想像してみたりした・・・

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