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=院長日誌補足=
「医療とは何か?」
2001/07/31 (火)

デフレ・2
 中国の労働者の賃金は平均して我が国の30分の1らしい。
 その賃金で暮らしていける、ということは日常生活で必要とされる物価などもそのレベルなのだろう。

 単純に比較すれば我が国の一日分の給料で中国で一ヶ月暮らせる。
 一ヶ月分の給料で2年半暮らせる。
 もちろん生活水準は「中国のレベル」という前提だが・・・

 我が国は賃金の水準も物価の水準も諸外国に比べて高いらしい。

 ふと思った。デフレは悪いことなのか?なぜ成長しなければならないのか?
 マイナス成長は悪いことなのか?多少のマイナスでガタガタ言う必要はないのではないだろうか?賃金が安くなり、全ての物価も下がれば生活に支障はでない。GDPが下がるだけだ。(いや、もっといろんな影響があるのかも知れないが、経済専門家でないボクには想像もつかない)

 もちろん経済を専門とするヒトに言わせればそんな意見は耳を貸すに値しないと一笑にふされるに違いない。

 相次いで大手IT関連のメーカーが業績不振でリストラ策を打ち出すと発表した。
 「成長し続けなければならない」という呪縛から、もう解き放たれてもいいのではあるまいか?
2001/07/30 (月)

デフレ
 デフレらしい。
 モノが安く買えることはいいことだ。でも経済の専門家に言わせると、デフレというのは、いずれ「人件費削減」に繋がり、各人の所得が減る方向に向かうらしい。
 所得が減ると、さらに安いものを求める。さらに人件費削減に繋がる・・・
 そして消費が控えられ、生産やサービスも滞りがちとなり・・・

 この繰り返しを「デフレスパイラル」と言うらしい。

 昨日、とあるホームセンターでクラシックのCDを一枚100円で売っていた。
 1000円の入力ミスではない。しかも新品である。
 何かのシリーズものらしいが、恐らく「セット売り」のものがセットでは売れずにバッタ屋経由でホームセンターにでも入ったのであろう。

 ほとんど持っている曲ばかりだったが、2枚ほど所有していない曲があったので、矢も縦もなく買ってしまった。

 従来なら数百円したものが100円ショップで大抵手に入る。
 Yカメラで売っていたカメラが、Bカメラでは1000円安い値札が付いている。

 安いモノは確かに消費者にはありがたいことはありがたいのだが、その陰で「景気が後退するはずだ」という意識もちょっとは持っていたほうがよい。
2001/07/28 (土)

お役所仕事
 お役所への不満をひとつ。

 春先、固定資産税の通知が送られてきた。土地に対する税金が昨年までの3倍にハネ上がっていた。
 いったんは一期分を納めたが、どうも納得がいかない。

 税理士さんに聞いたが、どうしてそうなるのか判らない、区役所に電話で尋ねたら?と言う。

 区役所に電話をかけてみたら、「調査しなおしてみます」とのことだった。

 後日調査の人がきて、「調査によるとこの土地は更地になってしまったハズ」と首をかしげる。もちろんそんなことはありえない。どうも建物がたっていないと税金は高いらしい。
 そしてその後「ほぼ従来通り」に直された税の通知書が送られてきた。

 何も疑問に感じていなければ法外な税を無意味に徴収されていたことになる。
 お役所の仕事は完璧ではない。みなさんも腑に落ちないことがあったら、どんどん問い合わせてみるべきである。

 そして、もし閲覧されている方でお役所関係の方々がいらしたら、気を付けていただきたいものである。もちろん間違いは人間なら誰でもあるので、格段の目くじらをたてるわけではないが・・・
2001/07/27 (金)

白い巨塔
 今月6日付けで「白い巨塔」の作者を誤って記述しておりました。
 閲覧された方からご指摘を受けました。お詫びして訂正しておきます。

 これは面白い小説である。
 医学部の大学の内部のドロドロした部分を書いた小説である。高校生の頃に読んだが今でも鮮烈に中身を覚えている。

 上のリンクにあらすじがあるので、見てみて欲しい。

 企業でも官庁でも「組織」の内部にはその組織なりのドロドロした部分が必ずあると思う。全てクリアにすることは無理だろう。
 それは人間一人一人にもドロドロした部分が必ずあるからである。

 組織はそれら人間の集合体である。
 ドロドロした部分もまた、輪をかけて濃縮されている。

 くどいようだが、為政者は「カイカク」を叫ぶ。でも本質的なワルは、またカイカクされた枠の中で悪いことをするんだろうなあ・・・
2001/07/26 (木)

風水
 患者さんに次のようなことを言われた。

 「先生は医院の設計やインテリアに風水を取り入れたのか?」

 そのようなことは全く意識していなかった。元々「家相」とか「風水」とか、興味がないわけではなかったが、歯科医院としての機能が損なわれたら困るので、そういう縁起をかつぐことは取り入れなかった。

 でも結果的には「風水に興味のある方」から見ると「そういう要素」を取り入れた様式になっているらしい。
 待合室の観葉植物の置き方なんかは「風水上」理想的とまで言われた。

 「お客さんが入る置き方」なんだそうだ・・・

 自分としては「バランスを考えて」配置しただけなんだけど・・・
2001/07/25 (水)

小さな命
 今日の午後は目茶目茶ヒマであった。
 もともとアポイントも入っていなかったし・・・

 医院の庭の雑草取りをした。ヒマそうにしていたスタッフにはブラインドの掃除をさせた。
 庭の木々は、一部サツキが元気ない以外は実にすくすく育ってくれている。

 カミさんが、少し枝を払ったり、手入れした方がいいんじゃないの?と言う。
 でも「枝を払う」ということは「枝を切る」ということである。
 植物にも命があると思っているので、それはちょっと可哀想な気もする。

 でも、それを言い出すと「雑草」も小さな命なのではあるが・・・
2001/07/24 (火)

ケーブルテレビのネット接続
 ある、ケーブルテレビの会社の人がネット接続のセールスに来た。
 実は以前問い合わせの手紙を送ったのだが、その後検討されましたか?という意味での訪問だったようだ・・・

 実はだいぶ前からインターネット接続はケーブルテレビと決めていたのだが、ここに来て各種いろいろなブロードバンドサービスが各社から出てきてケーブルテレビの魅力がだいぶ薄れている。

 早さも値段も他社に比べて見劣りする内容になってしまった。
 あと、一年、いや半年早かったら矢も楯もなく飛びついただろうに・・・

 こういうサービスがのんびりしているところは、後々の進化やアフターものんびりしているのではないかと、つい警戒してしまうのであった・・・
2001/07/23 (月)

腐った世の中
 良くも悪くも、我が国の歴史的背景は、諸外国に比べて特殊な環境にあったと思われる。
 完全に四方を海に囲まれ、攻撃性を持った外敵の侵入は容易でなかったことだろう。
 恐らくボクが論じるまでもなく、いろいろな歴史学者が様々な考察をしてきたに違いない。
 でも、現日本経済の再生を考察する上で、我が国の歴史的背景を数千年遡って検証する論調は見たことがない。

 この閉鎖性と農耕民族気質が良くも悪くも日本経済を今まで支えてきたわけであるが、僕はいきなりこれを「欧米スタイル」に改めることは無理があると考える。

 旧「ソ連」は改革を急ぎすぎた余り、国の経済が崩壊寸前である。
 今から10年くらい前までは「二大大国」と呼ばれてきた国が、である。

 対して「中国」は種々の国際的非難を浴びつつも、順調に「ゆるやかな改革」を遂げつつある。
 結果的にどちらがいいかは判らない。
 もしかして、我が国の「カイカク」も実は掛け声倒れで、実質は伴わないのかも知れない。「外国との交流を円滑にすすめるための省」も腐りきっているようだ。

 いろいろなところが腐りきっている。
 カイカクするなら、まずは腐ったところをバッサリ切り捨てて欲しいものである。
2001/07/21 (土)

痛みを伴ったカイカク
 日本経済の先行きが相変わらず不透明だ。

 政府は「痛みを伴ったカイカク」を声高に叫んでいる。株価や雇用情勢など、連動しているのかどうかは知らないが、全く関係がないとも思えない。

 現内閣は発足当時から高い支持率を得ているが、当初から一貫して「痛みを伴うカイカク」を訴え続けてきた。

 これは良いことなのだろうか?
 今までは実現がやや難しくても「ややバラ色の構想」を語ったり、経済への口先介入という手法でテコ入れを計ったりということはあったように見受ける。

 もちろん経済へのテコ入れは「意味のない公共工事」などに大幅に頼り、問題を先送りするだけの従来の手法よりは、一歩前進していると評価したい。

 でも、「助からない患者にはもう医療を施さず、バッサリ切り捨てましょう」と言っているようにも聞こえる。
 そして、現に医療制度に関してもなにやらそういう方向に向かっていきそうな雲行きである。

 弱いモノを切り捨て、強いモノだけ生き残る・・・国際社会ではそういう構図を作らないとダメなのだろうか・・・
2001/07/20 (金)

不愉快なこと
 今日は、いくつかの小さな「いまいましいこと」、「おもしろくないこと」が続き、気分が悪かった。いや、今なお悪い・・・

 いったん逐一ここに書き並べてみたが、本当にささいなことばかりであった。
 一度は書いたが、やはりアップするのはよそう・・・

 わざわざこのサイトを見にきてくれた方々にグチをこぼすというのも、行儀が悪いような気がする。
 でもあえてひとつだけ書く。

 コドモが水遊びできるような浅い池がある小さな公園に我が子らを連れて行った。そこで楽しそうにバシャバシャ遊んでいたが、その池に自転車で乗り入れる小学生が・・・
 親も傍らでヘラヘラ見ている。

 コドモはみな裸足で池に入っているし、なかには腹ばいになって遊んでいるコドモもいる。そういうところへ自転車で入って行くのを見て、何も言わない親の神経を疑う。
2001/07/19 (木)

銀塩カメラの利点
 銀塩カメラはデジタルカメラに比べてまだまだ勝っている点が多い。
 もちろん、デジタルカメラにはデジタルカメラの良さがあるだろうし、どっちがどっちと言えない点も多い。

 比較的ズボラな僕としては銀塩カメラの方が「撮った写真をすぐ整理しなくて良い」という利点が大きい。
 極端な場合、「数本のフィルムを撮ってまとめて現像に出して、後でゆっくり整理」ということが可能である。

 デジタルの場合はそうはいかないだろう・・・きちんと整理していかないとメモリが一杯になるし、保存もきちんとしてバックアップまで取らないと記録として保存できなくなる可能性がある。

 もう一点銀塩の利点は「フィルム代と現像代が掛かっているので、無造作に撮らない」ことだろうと思う。
 デジタルは「何回でも撮り直せる」ということで、無意識にムダな写真を撮りすぎるということはないだろうか?
 そして大半は整理する際、消去されてしまうということはないだろうか?・・・

 消去されるメモリーは「撮られたはいいが、プリントとして日の目を見ることなく消し去られてしまう」というはかない運命をたどる。
 せっかく撮られた画像がかわいそうだ・・・銀塩の場合はとりあえずインデックスプリントなり同時プリントで、全て「プリント」として日の目を見る。

 まあ、使う人の「性格」に因るところも大きいだろうが・・・
2001/07/18 (水)

銀塩カメラ
 先日、新しいカメラを買った。といってもデジタルカメラではない。
 いわゆる「銀塩」の、しかも「コンパクトカメラ」である。

 コンパクトと言っても、化粧に使う道具ではない。もちろん近視の目にはめるレンズでもない。
 実は数ヶ月前、それまで約15年くらい使ってきたコンパクトカメラ「コニカ ビッグミニ」が突然作動を停止した。約8年前、新婚旅行に持っていった時も、「最後の夜」に故障した。よく最後の日まで稼動していて、最後の最後に動かなくなったものだと、感動したものだった。
 愛着があったので修理して使っていたが、さすがに外観もボロボロだし、最新のカメラに比べるとやや厚みがあるため、思い切って新しいのを買ったというわけである。

 でも、買おうと思って買ったわけではない。
 いわゆる「衝動買い」と言うやつである。

 割れたメガネの修理を待つ間、何気なく行きつけのカメラ屋(カメラ屋とは名ばかりでほとんど、電気店かパソコンショップと化しているが)のカメラコーナーをブラブラしていると、「私を買って」と陳列台から呼びかけられた感がしたのである。

 買い物をする気はなかったので、現金は持ち合わせていなかったが、幸いポイントカードがあって、それでまかなうことができた。

 買ったカメラはこれ↓である。

 定価41000円のところ、20000円でオツリが来た。銀塩カメラは安い。
2001/07/17 (火)

(無題)
 あることがきっかけで「つくづく完全な医療」というものはないな、と感じた。

 真の意味での「安い、美味い、早い」はないのである。(順番は違うかも知れない)
 このキャッチコピーは「某牛丼屋」のモノだと思ったが、まず「安い」が前提だ。
 つまり、「美味い」はこの安いが前提なのである。

 今、昼食を300円で済まそうと思ったら、意外と選択肢があるようだ。コンビニでおにぎりの2個と飲み物、あるいはサンドイッチと飲み物。ハンバーガーショップでハンバーガー2個と飲み物も可能だろう。
 牛丼も300円を切る店が続々登場している。

 でも「美味い」はもちろん「絶対的」なことではない。「その値段にしては」という相対的な価値である。つまり安いけど美味い、いや美味い割に安い、ということだろう。
 もし300円で高級フランス料理フルコースが味わえたらベストだろうが、ありえない。

 医療に求められていることも恐らく「安い、上手い、早い」だろう。
 いやもっと求められる要素は多いと思う。でもいつも述べてきた繰り返しになるが、全てを満たす医療機関はないか、あっても少数だと思う。

 そして、だんだん今月のテーマが重たくなってきた。そんなことばかり考えていると、日本の医療の明日はどうなるんだろう?・・・と気分が暗くなる・・・

 中断して別な話題にしようかなぁ・・・
2001/07/16 (月)

誠意
 昨夜、「明らかな医療過誤」があったと思われる相談メールを受け取った。
 もちろん公開はできないが、文面からも「悲惨な状態」に陥った様子が伺われた。

 一旦医療過誤と思われる事態に陥ってしまった場合、僕になせることはない。
 「医療に明るい」弁護士を探すなり、「医療過誤」を得意とするサイトを探していただくより他ない。

 でも、考えさせられるメールであった。
 恐らく「何らかの薬品のアレルギー」があったと思われる。推定できる薬品はあるが、もちろんあまり推定でもって返信に回答するわけにもいかず、それは自分の胸の中にしまっておこうと思った。

 もしかしたら、賠償請求とか訴訟などといったことに発展するのかな?ともチラっと感じた。
 随分遠方の方からだったので、具体的に僕が何か助力になることないだろう。
 もちろん患者さんの一方的な言い分しか聞いていないので、僕が「何が正しいとか、どちらが正しい」などといった「判断」はできない。

 ただ、歯科医療側の誠意のなさは読んで取れた。

 何はともあれ、医療に携わる者は「誠意」がなくてはダメだ。
 そして、今日一日、果たして自分は患者さんに誠意を尽くしているか?胸に手を当てながら診療に当たった。
2001/07/15 (日)

一生持つ治療はない
 歯の治療は「歯を元の状態に治す」わけではない。

 「歯を機能上、見かけ上」なるべく元あった状態に近づける「だけ」である。(歯科矯正の治療は又別問題である)
 実はこのことはいろいろなことを論じる上で「非常に重要」なことなのである。

 小さい虫歯をほんのチョコっと削って「一種の樹脂」を詰めても、それは元の状態とは異なる。どんなに歯に近い素材でも、「一種の接着剤」でそこに留まっている。

 口の中はまた「非常に特殊な環境」で、絶えず「濡れている」とか、「0度から100度近い温度にさらされる」とか、「毎日3度以上必ず酷使される」という、過酷な環境なのである。
 この状態では「どんなにいい治療」をしたとしても「一生そのまま持つ」ということはまずありえないということなのである。

 自費なんかの治療を勧めるのに「これはいい治療なので一生モノですよ」などと勧められたなどと聞くことがあるが、これは「サギ的文言」である。
 だから「自費は良くない」ということではない。良心的に行われた自費は、素材にもよるが、概して保険よりは良い状態を長持ちする。
 まあ、良心的な保険の治療は良心的じゃない自費に治療よりも勝る場合もあるが・・・
2001/07/13 (金)

虫歯は治らない
 「間違いだらけの歯医者さん選び」でも一部書いたとは思うが、大事なことなので重複するかも知れないが、書く。

 虫歯も歯周疾患も「治らない病気」である。くどいけど「病気」である。

 あまりにも一般的な疾患すぎるので「病気」だと思っていない患者さんが多い。いや歯医者の側でも「疾患」として捉えていない方がいるかも知れない。

 正しい意味での「治る」は「元の健康な状態に戻る」という意味である。
 昨日「風邪」は治らない、医療では治すことができない、と書いた。でも「治る」つまり、薬や何らかの治療によって「治す」ことはできないが、いずれウィルスは体の中の免疫に負けて体は元の状態に戻る。

 怪我をしても、よほどの「欠損」が無い限り、元に戻る。骨折をしてもくっつく。
 それが真の意味での「治る」ということである。

 ところが、一定以上の深さに達した虫歯、ある程度以上に進行した歯周疾患は「仮に治療をした」としても元の状態には戻らない。真の意味で「治る」ということはないのである。ウソではない。

 では「治療」は何のために行われるのか?
 それ以上疾患が進行しないようにするためと、機能を回復させる、という二点に絞られる。もちろんこの機能の中には「審美」が含まれる場合もある。
2001/07/12 (木)

治る病気・治らない病気
 「治療」という言葉は実にあいまいである。「治す」という字を含んではいるが、実は治さない目的の「治療」も多い。・・・どういうことか?・・・

 例えば、現段階の医療では「風邪」は「治すことができない病気」である。
 風邪のウィルスをやっつける「薬」がないからである。

 乳幼児やお年よりが「インフルエンザ」で死亡するのはそのためである。
 一般的な風邪も実は医療で「治すことができない病気」なのである。

 じゃあ、内科で行われる治療や貰う薬には何の役目があるのか?あれは症状を緩和させるためだけのものなのである。
 咳が出るならば「咳止め」を、熱があるならば「熱冷まし」を処方されるだけである。また合併症予防のために「抗生剤」の点滴や注射を受ける場合もあろうが、あれもあくまで「風邪そのものを治す治療」ではない。

 市販の風邪薬も「風邪の治療」には全く役立たない。症状を緩和させるだけである。

 「治療」という行為には「本来の元の状態に戻す」意味合いと「症状を抑え、それ以上病気が進行しないように努める」意味合いの二つに大別されるのである。

 実は「歯科」で行われる治療の大半も上記の「治す目的」の治療ではない。あくまで「それ以上病態が進行しないように努める」意味合いしか持っていないのである。
 (明日に続く・・・)
2001/07/11 (水)

異業種のインフォームド・コンセント
 たまに異業種に触れる機会がある。
 実は異業界のインフォームド・コンセントは全然なっていない。政治の世界も経済の世界も「用語」は難しく、例えば銀行や証券会社などで説明を受けてもチンプンカンプンのことが多い。

 例えば土地を担保に借金をする場合に必要な知識なのだが、「抵当権」と「根抵当権」の違いをちゃんと理解しているヒトは少ないだろう。
 銀行が大した説明もなく抵当権なんか設定してしまい、あとでトラブルことはよくあるようだ。

 建築業界の用語もまた、全然判らない。「わが社の鉄骨はラーメン構造です」と言ってどの程度のヒトがラーメン構造を理解できるだろうか?・・・

 法律用語もまたチンプンカンプンだ。
 我が国の「専門分野」はわざと言葉を難しく保つことによって、専門性を維持しようとしているのではないかと思われるフシさえ感じる。

 ああ、パソコン用語も難しいなあ・・・僕には・・・
2001/07/10 (火)

インフォームド・コンセントの難しさ
 僕が大学に在学していたとき、すでに「インフォームド・コンセントは重要である」と授業で教わっていた。でも臨床に携わっていない段階では「何のこと」かよく理解できないでいた。
 いやむしろ、そんな当たり前のことをどうしてわざわざ講義で教えなければならないのか?とすら思っていた。

 実際臨床の立場に立つと、これが以外に難しい。
 こっちは大学6年の知識、そして卒後10数年分の知識と経験がある。

 患者さんが「何を判っていて、何が判らないか」がまず判らなかった。
 例えば、深い虫歯があるとする。神経を取った方がよいのか?それとも残してみるべきか悩むことがしばしばある。
 ただし、神経を残した場合も、麻酔が切れたあと痛みが出る場合もある。そして後々神経を取らざるを得ないケースもまれにはあり得る。

 これを言葉で「ちゃんと判りやすく」説明するのはなかなか難しい。もちろん表面的にサラっと言うことは簡単である。

 なぜ、神経を残して痛みが出る可能性があるか?症状が出るかも知れないのにわざわざ神経を頑張って残してみることにどういう意義があるのか?
 神経を残して痛みが一時的に出ても、しばらく様子を見ることもあるが、それはどういう理由によるものか?全ての可能性について詳細に話すと、何時間あっても足りなくなる。

 つまり、歯医者の大学の門をくぐってから約20年の知識と経験を総動員して治療に当たっているわけであるが、「診断し治療する」際は、その知識と経験の中から重要なエッセンスだけを「かいつまんで」話すことになる。それがなかなか難しいということなのである。

 患者さんの方でも「知識と経験」は様々である。
 人によっては、削った後は少し痛みが出る可能性があることは「当たり前」のこととして承知されている方もいるし、削って型を取って、次回銀歯が入るとき「ちょっとでもしみよう」ものなら、飛び上がらんばかりに驚いて「先生しみるんだけど、このまま銀歯を付けて大丈夫?」という方もいらっしゃる。

 いったん神経を取る治療まで行くと、どんなにキッチリ治療がなされていても「再度根の先で炎症を起こす可能性がある」ことを経験的に理解されている患者さんもいれば、「これは根の治療をやりなおさなければなりませんね」と言うと、「それは前にかかった歯医者の責任か?医療過誤か?」と気色ばむ患者さんもいらっしゃる。

 本当にインフォームド・コンセントは難しい・・・
2001/07/09 (月)

医師の裁量権
 我ながら、今月は「小難しい」テーマにしてしまったものだと、ちょっと後悔している。小難しいと共に「抽象的」すぎる嫌いもあった・・・

 昨今、「医療にまつわる問題」が新聞の特集でよくみかける。
 いろいろなことが書かれていて面白い。面白いとは不謹慎かも知れないが、様々な立場の方々が、いろいろなことを書かれていて、参考になる、ということである。

 今、問われている問題のひとつは「医師の裁量権」である。
 一度免許を取得した医師・歯科医師は「よほどの悪意や過失がない」限り、その医療行為によって裁かれる、ということはないらしい。

 医師・歯科医師個々人の方針によって治療をなし、その方針・治療がよほどの悪意や過失が伴わなければ原則として法には触れない。

 例えば、虫歯の治療でも、削って詰めようが神経を取って被せようが、はたまた「抜こう」が、それがその歯医者の方針であれば、後でその治療に関してとやかく言われることはない、ということである。
 もちろんケースバイケースである。

 親知らずなんかの場合は、ちょっと深い虫歯があると、「神経の治療も難しいし、仮に詰めて治したとしてもハブラシも行き届きずらく、抜いた方が後々いい」と判断させていただく場合もある。
 また、歯周疾患でグラグラで、噛む力にも耐えられず「虫歯がちっともなく」ても抜かなければならないケースもある。

 はたまた歯の頭がすっかり無くて、根の先に化膿している病巣があっても諸事情により「がんばって何が何でも残したい」ケースもある。

 そういう判断が全て歯医者の裁量権にまかされている、ということである。

 もちろん昨今は「インフォームド・コンセント」ということが言われているし、僕も実践している一人ではあるが、これも実は難しい問題を含む。
 明日はこの「インフォームド・コンセント」について書く。
2001/07/06 (金)

複雑な構図
 医療の世界はとても閉鎖的である。

 医療系の大学なんて、最たるものである。ヘドが出そうなくらい「封建的」なところもある。
 山崎豊子の「白い巨塔」という小説(映画化もされていると思う)があるが、あの状態が今でも大した変わっていないと思う。

 ああいう世界は日本だけなのかな?と思ったら、そうでもないらしい。
 ハリソン・フォード主演の「逃亡者」という映画がある。あの中でもドロドロした医科界が描かれている。新薬製造を巡るデータをでっちあげるために「主人公」が追い込まれるという筋書きだ。

 まあ、映画の中の世界だから、現実は違うと思われるかも知れないが、全く事実に基づかないハナシも創作できないだろうと思われる。
 それに「事実は小説よりも奇なり」と言われる。現実はもっとドロドロしているのかも知れない。

 新薬製造と言えば、製薬会社もまた医療界の複雑さを一段と「ややこしく」している一因だと思う。
 そして「日本の健康を司っているつもりで省」ともちろんつるんでいる。

 医師会や歯科医師会も深く行政とつるんでいるらしい。膨大な献金をしているらしい。「らしい」とは無責任な書き方だが、僕らも勝手にその「会費」を徴収されている。
 その会(連盟)から脱退するには「裁判まで起こさなければならない」らしい。

 そして選挙では歯科医師会の推薦する、党や候補に投票するように、と暗に圧力をかけられる。候補者の「決起集会」があるので、出席するように、と何度も催促される。

 「あっかんべー!」である。
 どうして国民の健康を守る立場の人間が「決起集会」に出席しなければならないのか、皆目理解できない。
2001/07/05 (木)

不祥事の発覚
 背景には、そもそも「本当の医療過誤」の発覚が増加していることと、「真実を知りたい」という患者さんの意識の増加が挙げられるだろう。

 企業の不祥事も官庁の不祥事も、警察の不祥事も恐らく昔からあったと思う。
 人間は時に「欲の塊」と化すし、また「臭いものにフタ」という悪しき習慣もある。

 表沙汰にならない限り公表しない、というのは某自動車メーカーや某乳業メーカーを見ても明らかである。
 公金の不正流用、銀行の不正融資なんかも昔から相当行われてきたのだろう。

 それが今、一気に噴出している。
 医療もそのカヤの外にはない。

 そして、みんな過敏になっている。「本来治らないものが、実際治らない」ということは常にありえることである。

 こんなメールもいくつかいただいたことがある。
 根の治療をしても症状が収まらない。あるいは、何度治療してもまた炎症を起こす。

 これはもちろん歯医者に問題がある。ただし、「症状を取れなかった」ことに問題があるのではなく、「一旦炎症が根の先を越えて骨に達した場合、なかなか炎症症状を取ることができなかったり、一旦症状がなくなってもいつか再度炎症症状が出る恐れがある」ということを説明しなかったことに問題があるのだ。
2001/07/04 (水)

質問メールから
 もう一点「医療過誤」という言葉でドキっとしたことがある。

 数日前、ご質問のメールを頂いた。かいつまんで紹介すると・・・
「とある歯科医院で親知らずを抜歯した。約一週間経過するが、まだ口を大きく開けた時の痛みが残っている。これは医療過誤ではないのか?

 もちろん、メールの文面からは正確な状態の把握はできないし、ましてその痛みが異常なものなのか、それとも通常ありえる範囲の痛みなのかは判らない。
 でも「概して」抜歯して一週間、特に親知らずを抜いたケースでは、何らかの痛みがあってもおかしくはない期間ではある。

 もちろん、「通常、一週間では痛みが残る場合もありえる。もう少し経過を見て構わないのではないか」という内容で返信した。

 どういうことか考えさせられた。ひとつに「患者さんと担当医とのコミュニケーションがきちんと取られていないなあ」ということを感じた。
 「抜歯して通常は一週間くらい、場合によってはそれ以上の期間、痛みが続くことがありますよ。もちろん個人差はありえます」と抜いた時に説明していれば全く問題はなかっただろう、と思う。

 もし、「抜歯して一週間後に痛みがひいていないので医療過誤で訴える」なんてことになったら大変だ。

 もう一点は、それだけ「医療の現場に向けられた患者さんの目」が厳しくなっているということであろう・・・
2001/07/03 (火)

ある医療過誤
 結局上記のタイトルに決めた。
 数日前に見た「NHKの特集」がきっかけである。

 心臓の手術が原因で夫を失った家族。
 どうも大学病院側の説明に納得いかず、主治医などに話を聞いてみたところ、どうやら執刀した教授のミスがあったらしいことが明らかとなってきた。
 しかも「教授が手術する」とは予め説明されていなかったらしい。
 しかし、大学病院側はミスを否定。「不可避の急な心筋梗塞が起こって死亡した」と主張。両者の主張の隔たりは収まらず、裁判に持ち込まれる・・・

 ざっと上記のような要旨である。

 手術室、という密室は極めて特殊である。もちろん関係者や第三者がそこに立ち会うことはほとんどない。仮に手術室に入ったとしても、状態を見れる位置まで近寄ることは不可能であろう。
 また、よほど慣れた人でないと、「卒倒する」可能性もある。

 種々の問題があるようである。
 医療とは何だろう?医療者には何が求められているのだろう?・・・

 今月は「もちろん当たり前じゃない視点」から、少し考えてみようと思う。
2001/07/02 (月)

無題
 正直言って、今月はまだテーマを決めていない。
 だから「サブタイトル」は無題になっている。(7月2日現在)
 思えば、これを始めたちょうど一年前は、基本的に月ごとのテーマは決めていなかった。だから、毎日書くネタを探すのに苦労していた。

 下手すると寝ても覚めても、何を書こうか考えていた時期もあったかも知れない。

 寝ていて、「そうだ明日はこのことについて書こう」などと思いついて、カレンダーにメモしたりしていた。
 僕は思いついたことを「カレンダーにメモ」するクセがある。でも時に失敗する。

 月が変わって「古い月のを予告なしに捨てられる」ことが何度かあった。

 かと言って、月のテーマを決めるのもまたしんどい。最初のうちは「書こうと思っていたこと」がスラスラ出てくるので楽なのであるが、後半になってくると、枯渇して出てこない。しかも「一月書きつづけられるだけのテーマ」を思い浮かばないと「今月」のようになってしまう。

 さて、何のテーマにしよう・・・

2000年: 7月号 8月号 9月号 10月号 11月号 (以上、雑記)
2000年:12月号 「カレンダーと時間のナゾ」
 (筆者イチオシの力作です)
2001年: 1月号 「バカは風邪ひかない、と進化論」 
2001年: 2月号 「歯はなぜしみるのか?」
2001年: 3月号 「僕のIT革命」 (閲覧者の反響が高かった月です)
2001年: 4月号 「医療と経済」
2001年: 5月号 「歯医者の独り言」
2001年: 6月号 「小児歯科について」